こんばんは。新3年の前田です。
もう私の名前も見飽きたのではないでしょうか。再発足から一年半、これまでに公開してきたブログ記事の8割は私が書いているので、不思議に思われていた方もいるのではないかと思います。
UTFFが復活したのは2016年の秋。1年生10人からスタートしましたが、その10人のうち今残っているのは6人。その中で文系は私1人だけでした。東京大学の1・2年生は文理問わず駒場キャンパスにある教養学部に所属します。1年生のうちは文理ともに必修が多く、課外活動に真正面から取り組む時間は限られますが、初年度に前期教養で取得すべき単位をほとんどとってしまえば、2年生の夏学期は自由に使える時間が比較的多くなります。といっても理系の方がコマ数は多いので、復活直後で人数が少なかったUTFFでは暇文系である私がその運営の中心を担っていくようになりました。
復活1年目は、先輩方が2015年大会に出場させる予定だった「UTFF16」という製作途中のマシンを完成させることを目標に活動しました。設計はせず、残っていた図面をもとに車両を製作するので、工学的な専門知識というよりかは、未熟な製作技術でいかに車両を早く完成させるかというタスクマネジメントがものを言う状況でした。なんとかマシンを完成させるべく、ほぼ毎日駒場から40分ほど離れた本郷にある工房に通い詰め、金属を削りまくっていました。そんな中で、私はずっと引っかかっていたことがありました。私が一日中工作機械を回している間、ずっとスマホをいじっていたり、そもそも工房に来なかったり、マシンを完成させようという意識が見られないメンバーが目立ちました。なぜ自分のように全力を注がないのかがどうにも理解ができず、不安ばかりが募っていく。結果的に16は大会一ヶ月前にようやくシェイクダウンを果たしましたが、大会ではトラブルにより出走できませんでした。大会一ヶ月後に実施した走行テストで順調に走るマシンを目にした時は、嬉しさよりも、もっとタスクマネジメントをきちんと遂行していれば大会で走れていたという思いが自分を支配していました。
マシン製作が遅れた原因として、チーム運営に真正面から取り組んでいたのが主に私しかいなかったことが挙げられると思います。FAや大学関係者の皆様とのコミュニケーション、スポンサー様との渉外、会計などの事務作業、掃除やゴミ出しなどの雑用…ほとんど自分で抱え込んでしまったことが、チーム全体の当事者意識を薄め、士気の低下に繋がったと考えました。この反省のもと、活動コンセプトを決める段階で話し合った結果として、「渉外活動は全員でやる」「自分の担当にとらわれず協力してマシン製作を進める」ことを決め、第16回大会への活動がスタートしたのです。
再発足直後の状況に比べれば実際に走る車両を一台製作しているので、少しだけ前進した状態から活動が始まりましたが、いまだに自分たちで設計をした経験はなく、ノウハウの蓄積もありません。ゆえに手探りの状態で設計を進める必要があります。ノウハウがない分コミュニケーションより綿密にとることが重要であると考え、定期的なミーティングを行ったりSlackという新たなツールも導入したり…あらゆる試みを実施しています。
そんな中、ふと気づくと、また去年のような状況がチーム内で見られるようになってきました。ミーティングの無断欠席、長時間に及ぶスマホ、Slackの不読…行動だけでなく、それが言動にも現れることもしばしば。肝心の設計も、およそ完成とは程遠い状況です。だからもっとやる気を見せろなんて野暮なことを言うつもりは毛頭もありません。これはチームの組織上・制度上の問題であり、メンバー全体で取り組んでいくべき課題です。「自分の担当にとらわれず協力してマシン製作を進める」という活動コンセプトが徐々に骨抜きにされ、自分の担当パートにおける責任の所在が不明確になっていることが大きいと私は考えています。他にもいろいろ問題はあると思いますが、いずれにしても、今のUTFFが置かれている現状は厳しいと言わざるを得ないでしょう。
こうした課題に対する取り組みとしてミーティングで提案されたのが、この活動日記の導入です。毎日メンバーが持ち回りで、自らの課題や成果を見つめる機会としてこの活動日記というものがあります。たとえ面倒でも、自分の考えを記していく、言語化していくということは、思考を整理し、自らを見つめ直すいい機会となるでしょう。活動日記が、有意義なものとして継続していくことを、前田は願ってやみません。
およそ日記とは呼べない文量になってきたので、今日はこの辺で。まだ書きたいことが山ほどありますが、また次回。